Taoyaka Gurashi

ひかりとかげ

ひかりとかげ

空腹ってどうしてこんなにくすぐったいのだろう 風も音も光も目に映り肌に触れるもの全てを感じる どれも優しくて柔らかくて、そんなものに触れていると布をかぶってしまって顔をおおいたくなる   お腹が満たされたとき、自分の体の中に入ったものや満足感に安心を覚える   外の世界 それは広い どこまでも続き、見たことのない景色や感覚をくすぐる経験が転がっている   それはあまりにもまばゆくて もう少し柔らかな光を少しずつ浴びたいものだとも思う   風に身をすっかりと委ねることができたとき わたしはどれだけこの世界を口にできているのだろう

言葉がうまれるとき

言葉がうまれるとき

自然と一体となるとき いつも言葉があふれだす   あふれでる言葉をこうして日記に残し 自分の感覚と向き合っているとき 心地が良くて、幸せで 1人の人間として生きていることに誇りを感じる   眠れない夜、夜道を歩いていると コンクリートに朝の光がこぼれはじめる   長い長い夜だった 寂しくて孤独な夜だった 明日は眠れるだろうか 今日は満足に過ごせるだろうか   街に出て、仕事を始める 繰り返しの日々を手の平に握り締め 足に踏み締めた大地を感じる   感覚を満たす心地よさが今日もいい日であることを私に教えてくれる

自然がくれたもの

自然がくれたもの

何者にもなれず、何者にもならず、 ただ風のように生きていく   そんな幸せ   風に身を任せると知らない場所に辿り着く それは時に不安で寂しくて でも気がづけば寂しさを忘れ 目の前で起きる小さな変化に自分の感覚が吸い込まれていくのを感じる   時がゆっくりと流れる   それは自然がくれた大きなギフトなのだと気づく   ありがとうと笑みが溢れた

ここちのよいこと

ここちのよいこと

ひとりでいるときに感じる心地よさは まるでわたしのすべてを委ねて丸裸にされるようで怖くなる   心地よいを感じることができない あんなにも気持ちがいいのに   風が吹き、空気が肌をかすめる 鼻を秋の風がくすぐる 空の色が心をすーっとさせて なんて世界って美しいのだろうと思う   そんなことをずっと感じていられるなら この心地よさをずっと抱きしめて生きていたい   怖くなるのはきっとどうしても成し遂げたい何かがあって 成し遂げるために体を動かし頭を働かせ そうすることで前に進んでいることを感じたい それがわたしにとって生きることであり、その喜びであるのだと それは険しいそれは嬉しいそれは美しい   丸裸の心でこの世界を感じ、生きていよう そしてこの世界を離れるとき、身をすっかりとゆだねて、わたしは生きましたと泣きましたと笑いましたと神様に話そう そうして温かくて大きくて優しくて柔らかいその腕に抱きしめてもらおう

2023.3.5

2023.3.5

私が身につけたい1番の技術は、服を作ることでも、お茶を淹れることでもない。 ー人を愛すること。 これまでの行動はそれに一貫した行動だったのだととても腑に落ちた今日だった。   〜以下エーリッヒ・フロムの「愛するということ」より〜 「愛することへの第一歩は、生きることが技術であるのと同じく、愛は技術であると知ることである。その技術を習得する事が自分にとって究極の関心事でなければならない、ということである。この世にその技術よりも大切なものはない、と確信しなくてはならない。」   歩きながら、笑みがこぼれるほどに嬉しくなった今日、いやここ最近の一番の気づき。 それは「生きることは働くことで、働くことは、生きることに感謝して、誰かのために自分にできることをする。その日常を繰り返すこと。」そのなんの変哲も無い、ただ、ありがとうの気持ちから生まれる日々の繰り返しで愛する技術が身につくのではないかと。 こうして気づきとして日記にまとめている今、なんだか心がとても静かで、不思議な気持ちがします。なんでもないことのようで、でも今の私にはとても大切な気づきな気がして。 ここに書き留めておこう。

2023.3.5

はじまりのとき

はじまりのとき

久しぶりの自分時間。1日好きなだけ自分のために過ごせる時間。 そんな何よりも贅沢なひと時を存分に楽しむ。   朝起きて一杯の白湯に沁みる。 タンパク質を補給してから軽い運動を始めると少しずつ体が目覚めてくる。 そんな感覚を楽しみながら精一杯に体を動かす。   最近本当にいいものって何だろうと考える。 私にとっての課題で、服作りをする上で足りない、欠けていると感じるもの。 “本当”とか“本物”がわからないことがコンプレックスに感じていて 服作りが思うように進まない。 頭で考えずに集中した意識の中で自分自身が納得のいくものを作りたくて。   今朝、服を作りながら思った。 パターン用紙に引く線、1mmでもずれるとシルエットは変わる。 その中で自分がどのラインだと、好きだ!これだ!この線がいいんだ!と思えるのか。 それは作り続けないと見えないしわからないし、作る以外の環境下でも常に意識を向ける。 ふと街ですれ違ったセンスの良い人、何に惹かれたんだろうと考えてみる。 そんな地道な繰り返しが本物を作り出すのだろうと。   そんな感覚は分かっているのに、それでも目の前の作業に集中できないことが多い。 作りたいのに手を動かせないことが多い。何でだろうとまた考える。 出てくる答えはとてもシンプルで、それは何年も変わらない。 その理由はいつまでも自分のことが本当に好きにはなれていないから。 生きることで精一杯な私には心の余裕がない、何かに依存していたくなる。 その依存先が自分を幸せにしてくれる良いものや良い人であればいいのに、 自分を消費することでしか自分を落ち着かせることはできなくて。 そんな満たされない状態の私が作るものを誰に安心して渡せるのだろうかと。   痛み、悲しみ、孤独感は人間らしくて好きです。...